2016年7月31日日曜日

老揺(たゆたい)期を伴奏する


半年前、「いのちを考えるセミナー」の常連のひとり佐賀県の在宅医K・S子さんから「老揺(たゆたい)期 に入った78母が入院、ついに私が主介護者に」と率直に胸の内をひらいたメールが届いた。そのポイントをあげてみよう。
① 昨年秋まで自宅でほぼ自立した生活を送っていた母が、胸椎圧迫骨折を受傷し入院。下肢の麻痺や排泄障害を呈し、一時寝たきりとなった。さらに入院後、強い幻覚と妄想に襲われ、深夜に「知らない場所に移されたから助けに来てほしい」、「ベッドに犬小屋をたてられた」などと携帯電話で私に連絡してきた。軽いパーキンソン様症状もあり、レビー小体型認知症と診断された。
② 認知症ケアはまず「寄り添う」ことが大切とされるが、いざ当事者になってみると認知症介護に伴う心身の疲労だけでなく、親がどんどん変貌していく様子に悲哀と、「過去(健康なとき)のあの母にはもう会えない」という喪失感に思いが乱れている。
③ この思いは介護専門員や医療者は抱かない感情だ。5年前医師として認知症の人と家族会の世話人を引き受けてきたが、はたしてこれまでご家族の気持ちにどこまで共感しえていたのか、経験と理解が不足していたと痛感している。
④ 同時にまた、家族や身内ではないから医師として寄り添えたのではともいえる。母親の介護 を正面から受けとめ、これからが医師として正念場だと考えているー。
「老揺(たゆたい)期」→五官の老衰、認知症等がみられる還りのいのちのステージ。

わたしはK医師の思いに共感しながら、気になったので次のような返信メールを送った。
「こころの内は十分に受けとめました。けれど、誤解をおそれずにお伝えしたいのは、この状況は医師としてではなく、娘としての正念場だと受けとめるべきかとおもいます。娘の代役はいません。いわんや専門家(医師)と家族(娘)の役割を同時に引き受けるのではなく、まずは医師(専門家)を降りること。主治医は誰かに替わってもらうこと。そして、医師としてではなく家族(娘)として、それこそ『ぼけてもいいよ』というポジションを母のまえでしっかり見せることだとおもいます」と。

●ファミリー・トライアングルという構図
ここで思いだしたのは、介護保険法が施行される前後の10数年、6畳間にベッド二つを並べ寝たきり状態になった義父母の介護体験である。とはいえ、わたしが何をしたというのではない。娘(妻)の役割を基点にしたうえで私の立ち位置(3番目の役割)が問われていたことだった。からだが不自由になった老揺(たゆたい)期の義母、義父を支えるにはそれぞれ三角形・鼎のかたちになっていることが必要だった。そこでわたしが象ったケア・メソッドがファミリー・トライアングルだった。
ここで介護するという場合、老親(患者)を中心において家族や専門家(医師・看護師・介護者)が周りを囲むというかたちではなりたたない、支えることにはならない。わたしにはこの確認が最初にあったことである。つまり、老親を支えるには、[娘―義父(義母)―医師]、または[娘(妻)―義父(義母)―私]という関わり方が三角形(△)のかたちになっていること。そのためには三人目の役割を(自覚的に)引き受けてはじめて支える関係ができる。わたしは、このケア構図をファミリー・トライアングル(FTと名付け著したのが『「還りのいのち」を支える』(主婦の友社 2002年)だった。
要するに「共にある」というポジショニングが大事におもわれた。そこで、わたしはもうひとつサッカーの陣形としてのトライアングルとも重ねてみた。ゴールにむかって息をあわせボールを蹴るのだが、そこでは、コーチング(呼びかけ、指示)とアイ・コンタクト(目で合図する)が欠かせない。なによりトライアングルは3人目、3番目との連携と距離によって変わってくるだろう。
だから、3人で正三角形をつくることではない。それぞれの立場や関係によって三角形の辺の長さや角度は異なるのはいうまでもない。たしかなことは「三角形の内角の和は2直角(180度)」という支えあう構図をしっかり産み出すことだとおもっている。

老揺(たゆたい)期を伴奏する
至近な母親の例をあげてみよう。連れ合いを亡くして15年、老揺期(要介護度2 93歳)、独り暮らしを続けた郷里(奥出雲)を離れて、現在は娘(次女)家族が住む松江市内の居宅型老人ホームに移って3年になる。そこでのファミリー・トライアングルの第1は[娘(次女)―母親―孫娘(看護師)]。近隣に住む二人、とりわけ母親―孫(看護師)が大きな安心につながっている。これをベースに第2のトライアングルとして[娘(次女)―母親―娘(長女・大阪在住)]。さらに[長女(大阪在住)―母親―孫(看護師)]、そして私の関わりは[長男(東京)―母親―妹(次女)]など。相談事では母親抜きのトライアングル[長男―看護師(孫娘)―長女]といった場合もある。
こうしたファミリー・トライアングルの形成は、遠距離の感覚とか、役割分担の交替などによって、いわゆる要介護度を親和度にかえることもできるとおもっている。さいわい母は耳も達者で、携帯電話(かけ放題)を手放さずことなく主役の座におり、いまのところコーチングとアイ・コンタクトは滞ってはいないとおもう。
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さて、先ごろK医師からメールをいただいた。
「母の疾患は新たな主治医に、わたしは母の老揺期を共に歩むことにしました。さいわい母は平穏に落ち着いています」と。