2017年6月23日金曜日

ときあかり ―死出に添う



佐賀県唐津市の吉井栄子さん(「お世話宅配便」代表)を久しぶりに訪ねたとき「ときあかり」という言葉を教わった。当初は地元の銘酒の名まえかとおもったほどだった。いそいで辞書を引くと、明け方、東方がかすかに明るくなること(大辞林)とある。なるほど、とは思ったが、ここでは逆。むしろ、西方に沈みゆく陽の翳りのなかで彩るいのち―つまり、亡くなる直前に生気を取りもどしてみせる人の姿をさしているのだった。2,3のエピソードを引いてみよう。

―長いこと寝たきりだったお祖父ちゃんが急に散歩に行って、買い物に行って、部屋の片付けして、次の日また寝たきりに戻って、その次の日に亡くなった。
「今思えばとても不思議です。仏壇の引き出しにはお祖父ちゃんが入れたと思われる通帳と印鑑が入っていたと母が言っていました。お祖父ちゃんは自分が亡くなるってことわかっていたのかも知れないです」

―うちのばあちゃん、長く入院してやっと家にもどったら「ご飯が食べたい」といい、食欲が出てモリモリ食べておかわりまでして、その翌日に亡くなった。でも、家族はみんな「ばあちゃん、死ぬ前にいっぱい食べられて良かったねえ」と喜んだんですよ。

―認知症だった祖父が突然「紙と鉛筆貸して」って言って貸してあげた。何か書こうとしているんだけど書けないらしかった。「夜ももう遅いから書き物は明日にしよう? 明日になったら書けるよ」といって部屋の電気を消して出ていったら、翌朝紙と鉛筆もったまま亡くなっていた。電気を消さなければ。悪いことしたと思う。遺書のつもりで何か書こうとしていたんだろうな…。

「ときあかり」はロウソクの灯りに見立てることもできる。ロウソクは燃え尽きる直前に太く瞬き、その後に火は消える…。そんな〈いのち〉の名残劇を指している。
関連してもうひとつ、死の床にある人の「お迎え」現象がある。「親父が迎えにきてくれた。あの世で親父に会えると思うとたのしみだ」とか、「仏様がきているけど まだはやい。追い払ってくれ」「お花畑がみえてキレイだった」などと口にした人がそれぞれ追っかけるように亡くなっていく。

―はじめて幻覚のような症状が現れたのは、死期の一ヶ月前。家族が「だれ」と聞くと「男の人、とか女の人」とかで具体的な名前はいわず、一瞬にこにこしているようだった。家族が「おじちゃん(夫)がきたの」と聞くといなくなったとかで、穏やかな幻覚が多少あったようだが、それで苦しめられる様子はなかった。

―戦争体験者Sさん。「兄貴が今来てるんだけど、しゃべってほしいのに何にもしゃべってくれないんだよ、先生」と言われびっくりした。幻覚かどうか調べるために指を立て、「これ何本かわかりますか」とか、「私が誰だかわかりますか」と確かめたが、Sさんの認知は正常で、周囲のこともしっかり見えている。お兄さんは呉で戦艦陸奥が爆沈したときに死んだ乗組員で、私が「お兄さんはどこにいるの?」と尋ねると「そこにいるんだよ、先生、見えない?」と指差すが、私には見えない。Sさんは、いろいろ語りかけたが「やっぱり何も言ってくれない」と残念そうだった。(『現代の看取りにおける〈お迎え〉体験の語り 在宅ホスピス遺族アンケート』 ※東北大学文化社会学 岡部健他 遺族366人、「お迎え」体験は4割超)

これら「ときあかり」や「お迎え」はいずれも在宅死であり、病院や福祉施設ではほとんど見られない現象である。医療制度に支えられている現在、病院死が当たり前になっており、国民の8割が病院で亡くなっている。そこで登場してきたのが「尊厳死」とか「平穏死」への期待となったのである。これらの死に方は自然死(在宅死)からもっとも遠い死に方になっていることに気づく。それだけに「ときあかり」や「お迎え」現象は、医療施設では幻覚をともなった「せん妄」として治療の対象になってしまうのだ。
「臨床宗教師」を提唱した在宅医の岡部健さん(自ら末期がんで、2012年死去)は、「お迎え(ときあかりを含む)」がせん妄によるものかを論じるより「お迎え」(ときあかりも含む)を体験した患者がほぼ例外なく穏やかな最期を迎えることに着目すべきだとして、在宅医として体験した事例を残している。

〈肺がんによる低肺機能の70歳代後半の女性は3階に寝ていたが、ある日、お嫁さんが様子を見に階段を上がって行くと、いきなり「せっかくそこに母ちゃんが迎えに来てんのに、おまえが来たから消えてしまったじゃないか。なんてことしてくれるんだ」と怒鳴られた。それから一カ月後に、娘さんから「母が『今日死ぬから親戚を集めろ』と、おかしなことを言ってる」と電話が入った。往診にいくと、笑顔で「先生、ありがとうございました、今日で逝きます」と言う。けれど酸素濃度や血圧を測っても、どこにも悪いところがない。首をかしげながらも、私は娘さんに「本人がこう言うときは当たることが多いから、親戚を呼んであげたら」と伝えた。親戚がやってくると、おばあさんは枕元に集めて説教をはじめた。最期こそ言葉は不明瞭になりながらも。その晩に亡くなった。〉

岡部医師は「お迎え現象は、精神と肉体がほどよくバランスをとりながら衰えていったときにおこる」と指摘している。つまり、死の準備過程で起こる自然現象であり、これは家族に委ねられるべき場面だとしている。
ここで、わたしが遭遇した場面に触れよう。17年ほど前、90歳の義母が亡くなる前日、わたしが外出する際に交わした義母との数分の会話である。

ベッドの脇に立ったとき、唐突に「ヨネザワ君。わたし、もうすぐいなくなるから。ありがとう」という(義父母はわたしをさいごまでヨネザワくんと呼んだ)。
「もうすぐいなくなる…。そんな気がするんですか」
「来週はもういないとおもう。お世話になったわ」
わたしは(もうすぐ死ぬ? そんなこと言わないでがんばって)といういつもの言葉を飲み込んでいた。義母の目は、そういう返事を期待していなかったからだ。
「ぼくもいっしょに暮らせて、よかったですよ」と手を差し出した。
「長いこと、ありがとう。それから、××子は来週にはあなたに返すから」 
(『自然死への道』の「明け渡しのレッスン」から)

ここで××子とは妻の名前である。おもしろい言い方だなあとおもって「まだ、いいですよ」とことばを返したほどだったが、差し出した私の手を握りかえしながら“母”の顔でうなずいた。義母はその日の夕方、病院で診てもらうからと入院をせがみ、翌朝病院で一人看取られることなく亡くなった。これこそ、わたしが体験した「ときあかり」だったのだ。